自称うさぎ


▼二〇〇四年六月▼


六月二十五日(金)


今日順番が回ってきたとか気のせいとか。↓で見られるとか夢の出来事とか。
http://f9.aaacafe.ne.jp/~fcafe/falf/creators/link/36.html




六月十七日(木)


というわけでFlash・動画文芸祭に参加させていただくそうですが、今月の19日開催というわけでたかが二日の違いですしもうすでに終わった後なのかもしれません。これだから大人の世界は怖い。子供の私は置いてけぼりである。今こそ子供の権利の拡張を!家の前の公園のガキがうるさい!とまぁ、たいへんたのしかった動画文芸祭でしたが、みなさんはどんな思い出ができましたか。私の修学旅行の思い出といえば、京都の旅館でちょうど私が布団に入るときに館に入ってきた人を無差別に罠に嵌めて殺すテレビゲームをやっていた友人が朝目覚めたときにも同じ姿勢で同じゲームをし続けていたことでしょうか。魔法使いつえーよつえーよとか言いながらそのまま潰れてその日一日たいへんそうでしたね。なつかしいですね。そんな19日でしたが私はちょうど旅行の予定が入っていてその日に見ることはできませんでした。20日には見ることができましたと思います。まぁ、個人的な事情で特別たのしみにしている作品もあるので早く見ましたいですね。わくわく。しゃりしゃり。しゃっきりぽん。おやすみなさい。おはようございます。それにしてもあれですね。おやすみなさい。




六月十二日(土)


世の中にこれだけ無数のイスが存在しているのだから、ひとつくらい座ることのできるイスというものがあってもいいと思う。もし座ることのできるイスが登場すれば(それも幾分夢空事ではあるが)、我々がわざわざ高さが合わない机やテーブルの前に立たなければならないということもなくなり、生活の快適さは大幅に向上することだろう。ようするに世の中はおかしい。おかしいことだらけだ。押さない、駆けない、喋らない。それぞれの頭文字を取っておかしだ。なんとわかりやすく合理的な標語であろうか。我々はこの言葉を次世代に語り継いでいかなければならない。すなわち、一ヶ国語しか話せないバイリンガルの育成こそが急務であろう。さらに言うならば世の中にこれだけ下駄箱が存在しているのであるから、ひとつくらい下駄以外の履き物が入っている下駄箱があってもいいのではないかと思う。下駄箱なのだから下駄しか入れてはいけないなどとはいくら古来より言霊信仰があるからとはいえ、少しばかり縛られすぎである。保守的になりすぎである。これからの時代はより自由な発想を求めている。下駄箱に靴を入れる、たまにはそんな冒険をしてみるのも良いのではないだろうか。筆者は下駄箱いっぱいに猫が収まっている様子を夢想し、今日も眠りにつくのであった。




六月八日(火)


オセロというゲームで白を黒くしたり黒を白くしていることからもわかるとおり、世の中では白を黒と断じたり黒を白と断じることが日々の営みの中で自然に受け入れられ許されています。春の陽気の中、皆が笑顔で許しています。皆が笑顔です。なんて平和なのでしょうか。不快に思われるこの夏の蒸し暑さすら快適に感じられる平和っぷりです。この快適さこそが夏てめぇぶっとばす。話は変わりますが、オセロというゲームで四隅を取るとたいへん有利なことからもわかるとおり、電車では座席のすみっこを取るのが最強でエンペラーとされています。そう、座席のすみっこはお年寄りへのやさしさをものともせずに若者が座り続けることが可能な唯一の場所だと言われているのか日本って国はすげぇなおい。日本は良くない国だそうです。まさか日本においてはお年寄りに席をにこやかに譲っている方々もお年寄りに前に立たれて上から見下ろされているのが不愉快だから逆に見下ろしてやろうとお年寄りに席を譲っているとでも言うのでしょうね。こりゃあ酷い国だ。しかし、そんな我が国の欠点は国民的アイドルタマちゃんの魅力で相殺されているらしいが起きてるか寝てるかの二つのことしかしていないつまらない人生を送る僕のような男には全く持って関係ない話です。そもそも犬ってかわいいですよね。