自称うさぎ


▼二〇〇五年五月▼


五月二十二日(日)


なんか制作がここ数日やたらと絶好調です。サイトの更新などしている場合ではありません。ごはんを食べたり風呂に入ったりトイレに行ってたりする時間すらもったいなくてもったいなくて仕方がありません。ましてや勉強なんてしていられませんし、テレビを見たりゲームをしたり本を読んだりフラッシュを作るなどもってのほかです。だから寝るしかありません。おやすみなさい。




五月十八日(水)


のしさんのつくられた2ちゃんねるトランプのCMフラッシュでぼくもなんか2%ほどなんかやったとかやってないとか夢とか希望とか世間のしがらみとかそんなことがなんだっていうんだ。ぼくらは今、ここに生きている。そのことがなによりも大切なんじゃないのだろうか…。別にそんなことはないけれども…。カブトムシ…。そんなことがあったりなかったりしたあげくかなりマーベラスなことになっていらっしゃると思うのでここらへんをクリックしてこの行楽シーズン、少し足をのばしに行ってみるのはいかがでしょうか。きっと隠しとか探してみるとよいのですよ。よいのですか?それはよかったですね。




五月十七日(火)







今後はずっとこの方向性でやっていこうと思います。
止めてください。




五月十一日(水)


【前回までのあらすじ】
nnmは久しぶりにちゃんとフラッシュを作ることにした!
プロットができた!
ぼくらの戦いはまだまだこれからだ!






五月六日(金)


例えば、夜の八時に閉店した後にお店の明かりをそのまましばらく点け続け、十二時になってやっと明かりを消す店があったとしよう。一晩中点けておくならまだしも、どうせ消してしまうのならば閉店したらすぐに明かりを消してしかるべきだという話になる。すると、当然ながら開店中から明かりを消しておくべきだという流れになる。そして予定調和と言うべきか、最後にその店は開店したことが間違いであったと近所の人々にレッテルを貼られもう二度と灰塵から再生することはなくなり、大地は枯れ、空は澱み、動物達の哀しげな声が世界を駆け巡り、あんぱんのあんは枯れ、みそ汁は豆腐であり、世界はその生命の営みを止めてしまうだろう。ひとつのミスが後々大きな災いとなって返ってくるのだ。我々は常に動物だいすき。




五月二日(月)


先日近所を散歩していたところ、とてもすごいものを見ました。すごいというかなんというかすばらしい。エクセレント。とにかくもうなにがすばらしいって、とにかくあれだ。エクセレント!まぁ、なにも見ていません。現実などそういうものです。哀しいものなのですね。その哀しさを集めてなんかこうすごいことになればいいと思います。そうすればなんかこうとてもね、感動的ななんかこうすごいなぁみたいな、愛?愛だよね、やっぱ、うん。ともかくすごく愛がたいせつなんだよね。そうすればみんながなんかしあわせになっちゃったりするんだよね。今の地球に必要なことってそういうことだと思うんだよね。やっぱこころがまえとかじゃなくてさ、こう実際にやっていくっていうか、行動?そう行動あるのみなんだよね。でもある意味ひとりひとりのこころがまえがたいせつだったりするよね。まぁ、世界もいろいろと複雑だからさ、経済とかね、だから一概には言えないんだけどさ、ボストン茶会事件ってそういうものを秘めてると思うんだよね。